第29話

 翌日、ダリは不快感と胸騒ぎを覚えた状態で目を覚ました。理由を言えと言われてもそれを説明することはできない。しかし今日は何かが起きそうな気がする。その胸騒ぎを抱えたまま、意味もなく部屋の中を歩き回る。それは、例えて言うのなら、動物が大地震の前に異常な行動をとるのと大して変わりがないようにも思える。ダリのその行動を見ている他の子供達も彼を奇妙だと思った。
 突然、外から風が施設を打ちつける音が聞こえた。その音はダリの心境を表現しているかのように思えた。そして、彼が昨日から気にかかっていることがある。カミラとレセが戻ってこないことである。いや、気にかかっているというのは間違っているのかもしれない。戻ってこない理由はダリも既にわかっているはずであった。わかっているはずなのだが、それでも何らかの奇跡が起こってほしい。それが今のダリの正直な気持ちである。
 朝食を終え、本日の訓練の準備をし、合図が鳴ると同時に外に駆け足で向かう。先ほどまでの風も、今はもう止んでいる。というよりかは、風が全く吹いていない。不気味なほどに静まり返っている。鳥達も上空に広がる海を泳いでいない。その海底にいる自分達も、息がつまりそうになる感覚を覚えている。それは、妙に多く用意されている軍用車を見ているからなのかもしれない。今ここにいる子供の総勢は、三十人前後になっている。ダリ達が誘拐された後にも、子供達は次々とこの場所に強制的に連れて来られている。最悪な形としての出入りが激しいのである。その子供達全員が乗れそうな軍用車が、いつも訓練するこの場所に用意されているのである。
 約五分後、ロムド中佐が現れた。
「これから訓練を始める。だがその前に言っておくことがある。」と、非常に力の入った声で中佐が語り始める。
「私がこれから何のことを言うのか、もうわかっているガキもいると思う。昨夜、何を思ったのか、ここから脱走を試みたクソガキが二人死んだ。私は前々からお前達に言っておいたはずだ。脱走したらどうなるか、ということを。それにもかかわらず、脱走をするとは本当に頭がイカれているとしか思えない奇行だ。脱走を試みたガキの名前は、一人がカミラ=ゲイレド、もう一人がレセ=オルティ」
 甘かった。もう二人がこの世界にいないということは覚悟していたはずであった。それでも、ダリは何故もっと強く二人を止めなかったのだろうかと後悔した。だが、どれだけ後悔しても、二人は戻ってこない。時間もビデオテープのように巻戻しはされない。
「おい、あの二人を連れて来い」
 兵士が中佐の言葉で倉庫のような所に向かった。中に入り、台車を押してくる。そして、その台車には、二人の死体が乗せられていた。カミラの死体は、文字通りバラバラ死体になっている。レセの死体は頭部の上半分が欠如しており、腹部からは内臓がむき出しになっている。どちらも既に腐敗が始まっており、その場を異臭が包み込んでいる。
「バラバラな方は私が手を下した。まずは金槌で手を痛めつけ、最後はこのガキを拘束し、この銃で蜂の巣にした。銃弾が手足を持っていってしまったのさ。さぞ痛かったろうにな……」と、まるでその瞬間を楽しんでいたかのような笑みを浮かべてロムド中佐は言った。
「もう一人は、あそこの見張り塔にいるお兄さんが狙撃銃で撃って殺した。SVDという旧ソ連で産声をあげた狙撃銃だ。と言ってもわからんだろうがな。この二つをよく見ておけ。脱走を試みたらこのように、もしくはこれ以上に酷い死に方をするという事をな。では、本日の訓練を始める。全員車の後ろに乗れ」
 ダリ達が軍用者の荷台に腰を降ろした。彼の隣にドンゴが同じように腰を降ろした。
「きみがあの二人をとめていたら、死ななくてもよかったんじゃないのか?」
「……ちがうよ」
「やっぱりそうなんだね」
 最後に子供達を見張るための兵士がAKを持って荷台に乗り込んできた。黒い軍靴がダリとドンゴの前を通り過ぎた後、ドンゴが言った。
「きみがあの二人をころしたようなものだね」
 それを聞いたダリがドンゴに殴りかかった。ダリの拳がドンゴの頬に命中し、呆気にとられたドンゴは荷台の床に仰向けになって倒れこんだ。そこにダリが上の乗っかり、さらにドンゴの顔を殴りつける。三発殴られたドンゴが、足の裏をダリの腹部に入れた。それを受けたダリが後ろに飛ばされる。
「何をしている!」
 兵士がダリに向けて銃を構えた。それがダリの視界に入っていないのか、ダリはドンゴだけを見ている。
「ボクだってカミラとレセをとめたんだ! でもあの二人はボクのいうことをきかなかったんだ!」
「……おまえも二人といっしょに、にげればよかったんだ。そしておなじようにしねばよかったんだ!」
 ドンゴが口から少量の血を流しながら言う。ダリの拳が口の中をきったのであろう。
「はじめて見たときから、ボクはおまえがきらいだったんだよ。ダリ」
 マフラーから黒い排気ガスが出てきた。タイヤがゆっくりと回転し、車が施設を後にしていく。
 ダリとドンゴは無言のまま、向き合うような形で腰を降ろしている。沈黙しているのは、何もダリ達だけではない。荷台が地面の凹凸に合わせてガタガタと揺れる。しばらくすると、車酔いを起こして荷台の外に嘔吐する子供達も何人か出てきた。前方を行く車のタイヤが巻き上げる砂埃が、後続車にかかる。
 約二十分ほど走行すると、車が停止した。見張りの兵士が子供達に車から降りるように指示をだした。そこは荒野だった。所々に雑草が生えている。そして、何か不気味な金属の板のようなものが確認できる。まるでマンホールのようにも見える。
「ここがなんだかわかるかね?」
 ロムド中佐がにやけながら子供達に問いただした。子供達は当然なんなのかわからないといったような表情をしている。それを見た中佐がさらににやけて言った。
「地雷原だよ」