第32話

 激痛、などという言葉は安っぽい表現にしか過ぎなかった。本当の死んでしまいそうな痛みとは、とても言葉で表せるものではない。ましてや、「痛い」と口にする余裕すらないのである。ダリの右足の大腿部から下が爆風によって消失し、水道の蛇口を捻りすぎたようなおびただしい量の血が体の外から流れ出ている。声にならない声が喉の奥から出てくる。次第に痛みが引いてきた。代わりにダリを襲ったのは眠気だった。まぶたが重い。目を開けているのが辛い。このまま目を閉じて寝てしまいたい。
「ダリ! しっかりしろ!」
 ドンゴがダリの傍に駆け寄り、自分の服を破き、それでダリの右大腿部を縛った。だがそれでも焼け石に水の状態だ。
「ロムド中佐!」
 ドンゴが叫ぶ。しかし、ダリには何を言っているのかはっきりと聞き取れなかった。視覚の次は聴覚の感覚も麻痺してきていた。次に、触覚も薄れてきている。眠ってはいけない。眠ったら死んでしまう。ダリは自分に言い聞かせるが、体は心の声には従わずに目を閉じていった。
「ダリ! 目を開けろ! ダリ!」

 その時、ダリが目の当たりにしているのは、以前に見た夢と同じだった。どこか知らない町。そこは戦場と化している。ダリも銃を手にしている。訓練でも使ったAK47だった。周りから銃声、爆発音が轟いている。黒い煙が立ち上り、町と空を汚していく。綺麗な青空が黒く変わっていく。綺麗だった心がどす黒く汚れていく。
「助けてくれ!」
 所々が赤黒く染まった服を着ている男性が叫びながらダリの近くを通り過ぎようとした。ダリは反射的にその男に銃口を向けて、引き金を引いた。破裂音が二つ聞こえた。ダリの顔に血漿が降りかかった。辺りに血を撒き散らしながら男は倒れた。体が痙攣している。何を思ったのか、ダリはその男に向けて再び銃口を向け、五発の銃弾を浴びせた。
 快楽に顔が歪んでいる。ロムド中佐と同じような笑みを浮かべている。その顔は、幼いときのダリではなく、既に青年へと成長しているダリのものであった。
「ダリ!」
 どこからか自分を呼ぶ声がする。

「ダリ!」
 ドンゴの声にダリは目を開けた。気がつくと見慣れない部屋にいた。雰囲気は訓練施設の部屋と似ているが、医療機械などの設備が整っている。
「大丈夫? 急に笑い出すからびっくりしたよ」
「……ここは?」
「医療室だよ。いつも僕達が寝ている施設のね。自分の足を見てみなよ」
 その声に促されて、体を起こして自分の下半身を見た。若干の痛みがダリを襲う。左足には包帯が巻かれている。右足には大腿部から下にかけて機械のような物が繋がっている。
「外国製の義足だよ。配線は直接神経に繋がっていて、細胞が生み出す電気を利用して動くんだって。義足部分の骨格は特別な合金でできていて、軽くて丈夫なのがうりなんだってさ」
 ダリには何を言っているのかまるでわからなかった。
「がんばってリハビリすれば、今までと同じように動けるってさ」
「……ありがとう。ドンゴ」
 ダリの礼の言葉を聞いたドンゴは、頭をさげた。
「ごめんねダリ。本当は君に酷いことを言うつもりはなかったんだ。だけど、上官に気に入られればここから抜け出せるかもしれないと思って。だからみんなにもあんな酷いことを……。
 ダリ、絶対にここから生きて逃げるんだ。それまで大変かもしれないけれど、一緒に頑張ろう」
 今までのドンゴではなかった。彼も、この理不尽な状況に対応すべく必死だった。そのために、やりたくもないことをあたかも平気でやっているかのように、言いたくないことをあえて言い、従いたくない大人に従った。彼の言葉に力をもらった気がした。そして誓った。絶対にここから逃げ出すと。

 しかし、当然のことながら現実は厳しかった。リハビリを行い、ダリの身体機能は右足を失う前と変わらない状態にまで回復した。その間にも辛い訓練は行われた。その内容は、施設で過ごす時間が増えるのと比例していった。逃げ出す機会を窺うが、それらしいチャンスは巡ってこない。年月が経過していくうちにつれ、ダリの心境も変化していった。ただ逃げるのではなく、施設にいる大人達を根絶やしにしてから施設を去る、という危険な考えを持つようになっていた。綺麗だった心は、黒く汚れてしまった。

 そして、さらに年月が過ぎ、ダリとドンゴは十六歳になっていた……。