第34話

 軍用車がタイヤを回転させ、二本の砂塵を巻き上げる。それが消えたかと思うと、後続の車がまた新しい砂塵を巻き上げる。何もない荒野をエンジン音だけを響かせて車が走る。その車も戦闘の悲惨さを物語っている。誰のものかわからない血痕が付着し、銃弾によって着弾点は凹んでいる。ガラスにもヒビが入り、酷いものではフロントガラス自体が既に存在していない車もある。
 先頭車両にダリは乗っている。AK47の銃口を空に向け、右腕で抱えるような格好をして座っている。その格好のまま動こうとしない。何一言として喋ろうともしない。この数年間で、ダリは大きく変わった。度重なる訓練によって肉体はいい方向に鍛えられたが、逆に心は悪い方向に鍛えられた。それがこの軍の教育の方針なのか、人を殺すのにためらいを感じなくなっていた。ダリが処刑した男も、最初は武装した敵兵とはいえ、最後には武器を持たない捕虜であった。何一つ武器を持たない人間が、自動小銃、拳銃、ナイフで武装した人間に立ち向かっても勝ち目は薄い。いや、皆無と言っても過言ではないだろう。そのような人間を、彼は処刑した。ためらいなく引き金を引いた。右手首についている青い紐は、もはや元の色と正反対の色に染まってしまっている。
「ダリ」
 声をした方向を見ると、左手にAKを手にした兵士がダリを見ている。
「何だよ、ドンゴ」
「……いや、基地に戻ってから話すよ」
「もったいぶるなよ。話しかけてきたのはお前のほうだぞ。今話せよ」
「……成長したお前は簡単に銃の引き金を引くようになったよな」
 ドンゴのセリフを聞いたダリは、またその話か、というような表情を見せた。
「それがどうした。言うまでもないが、お前の口からその話は何度も聞いたぞ」
「何度でも言うさ。何度でも言いたいからな」
「……わかったよ。基地に戻ってから思う存分に聞いてやるよ。今は休ませてくれ」
「今ここで話せと言ったのはお前だぞ。最後まで聞けよ」
「俺が悪かったよ。だからここは休ませてくれ」
 地平線の向こう側に夕日が沈む。その赤い色は大地を染め、空を染め、ダリ達を染めている。少年時代に何度も眺め、何度も美しいと感じ、何度見ても飽きない光景である。それは、昔と何も変わっていない。変わっていないはずなのだが、心なしか、ダリを照らしているその夕焼けは、血に汚れたようにダリを映した。ドンゴはそう感じた。
 基地についたダリは、車から降りるとAKからマガジンを外し、薬室内に装填されていた銃弾を排出した。何も装填されていないAKを武器庫の棚にかけ、自分の部屋へと向かう。この廊下も少年時代から何度も通っている。一日が終わるたびに、壁や床、天井についている「汚れ」が増えているように感じる。まるで、その廊下自体がダリの心を表しているかのようだった。この廊下は、ダリの心を映し出す鏡なのではないのだろうか。足音が不気味に響き渡る。
 部屋の扉をゆっくりと開ける。ギイと不気味な音をたてて、部屋の中の様子が少しずつわかってくる。部屋の中に足を踏み入れ、便所へと向かう。相変わらず糞尿の臭いが鼻をつく。ダリはズボンのファスナーを下ろし、尿を排出する。底にあたって液体音をたてる。ふと、ダリは自分の尿を見た。真っ赤に染まっている。体の中で血管が切れて、それが尿の代わりに出ている。ダリは思わず叫び声をあげた。ふともう一度見ると、なんてことはない、普通の尿が排出されている。今のは一体何だったのであろうか。
 用を終えたダリがベッドに横たわると、傍にドンゴが寄ってきた。
「ダリ、さっきの続きだが……」
 ダリは反応を見せない。
「お前は変わったよな。ここの上官に殺されないようにするためとはいえ、お前は簡単に銃を引き金を引くようになった」
「その話ならさっき聞いた。お前は違うとでも言うのか? お前だって俺と同じくらいの戦争を経験している。その中の戦闘でお前だって人を殺しているはずだぞ。もしかしたら、俺以上にな」
「だが俺はお前とは違う。さっき捕虜を殺した時のお前を見て、俺は恐ろしくなったよ。目が子供の時とは別人のようだ。成長したからだ、と言われれば確かにそれもあるけどな。だけど、お前のはそれだけではない。むしろそれは少ない」
「……何が言いたい」
 ダリが少しイラついた声で言った。ドンゴはそれを無視して続けた。
「お前はもはや兵士じゃない。ただの殺人鬼だ。捕虜を殺したときの目を見て俺はわかったよ」
「……なんだと」
「お前は今でも本当にここから逃げ出したいと思っているか? おそらくそんな事はとうに忘れているんじゃないか? その赤黒く汚れた紐がいい証拠だ! お前は自分の故郷の事なんかすっかり忘れているんだろう!」
「この野郎……!」
 ダリはベッドから起き上がるとドンゴの左頬を思い切り殴りつけた。ダリの目はドンゴの言うような、とても恐ろしい表情に満ちたものになっていた。